子どもの犠牲の上に成り立つ幸せって正解なの?何故許されるのと憤りすら感じる夜。

つぶやき

今の福祉職に復職してみるとやっぱり楽しくって、何でわたしは転職しようとしていたんだっけ…と考えてしまう自分がいたので、今後の転職は自分の意思で決めたんだってしっかり思えるように書き出しておこうかなって思います。

今回はぐだぐだとまとまりなく書くのですみません、、。ただただ思ったことをアウトプットさせてください。

転職のきっかけは自分の見送ってきた利用者さんの退所したその後が自分の思い描くものとギャップがあったからだと思います。退所した後は入所する前とあまりにも同じことの繰り返しで、自分のやってきた支援って意味があったのかな…入所中はただの対処療法だったのかな…根本解決ではなかったんだろうな…って思えて言葉では表現しきれない悔しさを感じてしまうからだと思います。生き方に正解はないと思うのですが、子どもの犠牲の上に成り立つ幸せだけは正解ではないと私は思ってしまいます。

入所前と同じ事の繰り返しっていうのは、私の担当ケースの場合は具体的に言いかえると退所後また同じような男性と出会って妊娠してしまうこと。そして既に居る子ども達が何かしらの犠牲を被ること。安全な生活さえ脅かされるケースが多い…許せないよお、、。わたしの受け持ったケースがたまたまそうだったのかもしれませんが、施設を退所してからまた妊娠するケースが5ケースありました。

自分(母)の選択が子どもの人生にダイレクトに影響するって事は入所中に色んな方面から伝えられている環境にあるはずなのに、退所後何故異常な男性を家族に入れる選択になるんだろう…人って真に聞く耳持たないと人の意見なんて聞いちゃあいないんだろうなって思っちゃいます。人の人生は変えられるなんて少しでも思ってるから私はショックを受けてるのかもしれないけど、それにしてもなぁってやるせなさが溢れてきます。

ある利用者さんで既に離婚したパートナーとの間に3人の子どもがいる方が退所後また同パートナーとの間に第4子を妊娠。パートナーは子を認知もせず金銭援助もしないし不倫もしている…なのに産んでほしいとも言っているらしい…宗教上の理由で降ろすことは罪に値するのだそう…もうこの時点で意味分かりません。上の子ども達は母のつわりがひどい時は満足に食事も食べられていない…でもギリギリ児童相談所に引っかからない…。誰も悪くないって言いたいし、このケースの母も搾取されているんだから何度もそれを繰り返してしまう状況にあるんだって思いたいけれど、上の子ども達を犠牲にする道を選んでいるのはこの母なのでは?(勿論パートナーが悪いのですが)この母が子どもを守る道を取らなかったのは自己責任として片付けてはいけないのか?なんでその出産費用は生活保護費から出るのか?巻き込まれる子ども達だけ助ける事って出来ないのか?避妊しないってやっぱり既に居る子どもの事見えてないよな?って酷い考えばかり浮かんでしまうし凄く葛藤してしまいました。

この母が第4子を産むって言った時何で?!って心から反発する自分がいて、この仕事やりたくないなって思ってしまったのです。どの命も産まれてくるべくして誕生する命だと思うし生まれた時点で幸せな事だと思うのですが、誕生の裏で子どもの犠牲があるのってどうなんだろう…子ども達は心から喜べるのかな…って思います。どこまでも伴奏して支援出来る人でありたいと思いつつ、身近な子どもを犠牲にしている事に盲目なバカ親はいい加減痛い目見て自分を優先している事に気づけよと思ってしまうあんなママなのでした。

頑張っている基準って人それぞれ違うから同じ尺度で人の頑張りを計っちゃいけないとは思うのですが、アラサーのわたし位の歳になったらいい加減気づいてほしいものです。

母の背景を理解するスタンスでいればどこまでも寄り添えるけど、子どもの幸せと天秤にかけると寄り添えない事が多いのでこの仕事は辛い。この仕事における正解ってなんだろう、成果って何だろうって考えれば考えるほど沼にハマっていくのです…底なし沼…。凄い支援者の定義も場所によって全然違う…わたしは軸をぶらさずに立てなかったようです。考えてしまう。毎日ブレブレ、疲れたぜ。

なので頑張ったら頑張った分だけ成果が貰えるお仕事についてみようということに。はあ転職の理由、、長かった。アウトプットしただけでまとまりがなく長文です。こんな日があってもいいよね、おやすみなさい。

この写真は内容と無関係w
ひなまつりの工作を我が子としてみました*目は我が子と一緒にぐりぐりと共同で書いてみましたよ〜( ̄∀ ̄)可愛いでしょ?

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